IEEE「次世代エンジニア育成プログラム」7大学に拡大──AI・ロボティクス教育の国際競争が始まった
◉ AIトレンド / 2026年05月

IEEE「次世代エンジニア育成プログラム」7大学に拡大──AI・ロボティクス教育の国際競争が始まった

2026年05月27日 読了目安:約18分 著者:AIFRONTNEWS編集部

あなたの会社が採用しようとしている「AI人材」──その人材が今、どの国で、どんな教育を受けて育っているか、想像したことはあるだろうか。

IEEEは2024年末から2025年にかけて、わずか1年間でTryEngineering OnCampusプログラムの拠点を米国2大学から世界7大学へと3.5倍に拡大した。クロアチアのザグレブ大学では25名の中高生が2日間でAI・ロボティクス・天文学を体験し、エジプトのアラブアカデミーでは50名が回路設計から無線通信まで手を動かして学んでいる。

本記事では、IEEE Spectrumの一次情報をもとに、この国際展開の戦略的意図と、日本の人材育成が直面するギャップ、そして企業・大学が今すぐ取るべき行動を具体的に解説する。

📌 この記事でわかること

  • IEEEのTryEngineering OnCampusが7大学に急拡大した背景と拠点選定の地政学的戦略
  • クロアチア・エジプトの実践プログラムの内容と「体験型教育」が持つ本質的な意味
  • 日本の次世代STEM教育の現状と、グローバル競争で生じている人材育成格差の実態
  • 日本企業・大学が国際プログラムへ接続するための具体的な戦略と行動ステップ
7
IEEEが2024年度に展開するTryEngineering OnCampus拠点数(前年比3.5倍拡大)
Source: IEEE Spectrum

25〜50
単一プログラムあたりの参加学生数。クロアチア25名・エジプト50名。高密度・高品質な育成モデルを実現
Source: IEEE TryEngineering OnCampus Program

10〜18
IEEEが対象とする参加者の年齢層。中高生という「人生で最も成長が高速な黄金期」を対象化
Source: IEEE TryEngineering OnCampus Program

4
ザグレブ大学が提供するコース分野数:AI・コンピュータサイエンス・ロボティクス・天文学。多領域融合型の人材育成
Source: IEEE Spectrum

① IEEEの「TryEngineering OnCampus」が7大学へ急速拡大──背景と戦略

IEEEのTryEngineering OnCampusプログラムが世界7大学に拡大する次世代エンジニア育成の戦略展開
Photo by Hao Zhang on Unsplash

IEEEといえば、電気・電子工学の国際標準を定める「学術の巨人」という印象が強い。だが今、この組織は標準化の世界を超えて、次世代人材を直接育てる「教育プラットフォーマー」としての顔を持ち始めている。

TryEngineering OnCampusは、2024年後半に米国の2大学でひっそりと始まったプログラムだ。ところが1年足らずで、参加大学は7校に増えた。増加率にして3.5倍。この速度は偶然ではない。

拠点選定に込められた地政学的戦略

注目すべきは、どの国・地域に拠点を置いたかだ。クロアチア(ザグレブ大学)とエジプト(アラブ科学技術海事輸送アカデミー)という2拠点の選定は、地政学的・人口動態的に非常に計算されている。

クロアチアはEU加盟国であり、旧ユーゴスラビア圏の理系教育の蓄積がある。一方のエジプトは、中東・北アフリカ地域で最大規模の工学系大学教育を持ち、若年人口が爆発的に増加している国だ。人口の約60%が30歳以下というピラミッド型の人口構成は、STEM教育への投資効果が最大化しやすい環境を意味する。つまりIEEEは、「今すぐ最も多くの次世代エンジニアを輩出できる地域」を戦略的に狙い撃ちしているのだ。

資金調達の仕組み:IEEE Innovation Committeeの役割

プログラムを動かす資金はIEEE Innovation Committeeが拠出している。これは単なる補助金ではない。Innovation Committeeはプロジェクトの効果測定と継続的な改善を義務づけており、「資金援助+評価フレームワーク」の一体型支援モデルを採用している。

この仕組みが重要なのは、参加大学側が「やってみました」で終わらせられないからだ。成果を定量化し、次のプログラムに学びを反映させるサイクルが最初から設計されている。日本の多くの教育支援プログラムが「開催実績の報告」で終わりがちなのとは、根本的に設計思想が異なる。

「TryEngineering OnCampusは、若い世代にエンジニアリングのキャリアへの扉を開く機会を提供するだけでなく、地域の大学がSTEM教育のハブとして機能するための基盤を構築するプログラムだ」
— IEEE TryEngineering Program, IEEE Spectrum 2025

この発言が示すのは、IEEEが単なる「ワークショップ提供者」ではなく、大学を「STEMのハブ」として再定義しようとしているという野心的なビジョンだ。

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② クロアチア・エジプトの具体的事例から見える、AI時代の「実践型教育」の本質

クロアチアとエジプトの中高生がAI・ロボティクス・回路設計を体験する実践型STEMワークショップの様子
Photo by ThisisEngineering on Unsplash

「AI教育」と聞くと、Pythonコードをひたすら書かせる授業を想像するかもしれない。だがIEEEのプログラムは、もっと根本的なところから設計されている。

ザグレブ大学の2日間プログラム:4領域を横断するカリキュラム

クロアチアのザグレブ大学でのプログラムは、わずか2日間で完結する集中型だ。対象は10〜18歳の中高生25名。この2日間に詰め込まれたのは、AI・コンピュータサイエンス・ロボティクス・天文学という4つの領域だ。

「2日間に4領域は詰め込みすぎでは?」という感想は正しい問いだが、それはこのプログラムの目的を誤解している。ザグレブのプログラムの設計思想は「網羅的な習得」ではなく「接触体験の最大化」にある。1つの分野を深く学ぶより、4つの領域の「入り口」を体験させ、自分が何に引っかかりを感じるかを早期発見させる設計だ。

これは、キャリア心理学でいう「職業的探索期」を意図的に設計したものに近い。中高生の時点でエンジニアリングの多様性に触れることで、「自分はAIではなくロボティクスが好きだ」という自己認識の精度が上がる。それが大学選択・専攻選択の精度向上につながるという、長期的な人材育成の視点が埋め込まれている。

エジプトアカデミーの実践:基礎から応用への段階設計

一方、エジプトのアラブ科学技術海事輸送アカデミーでのプログラムは、より基礎工学に重きを置いた設計だ。参加者は50名。オームの法則・無線通信・回路構築という、電気工学の根幹をなす概念を実際の器材を使って学ぶ。

ここで注目すべきは「hands-on workshop(実践型ワークショップ)」という言葉だ。IEEEは一次情報の中で、このプログラムが「座学(lecture)ではなくworkshop主軸」であることを繰り返し強調している。なぜか。

IEEEが設計する「実践型学習」の処理フロー

  1. 1

    概念提示(10分)

    オームの法則・AI推論・ロボット制御など、今日学ぶ概念の「なぜ重要か」を最短で提示。テキストではなく問いかけで始める。

  2. 2

    ハンズオン実施(30〜60分)

    実際の器材・ソフトウェア・センサーを使って手を動かす。「なぜそうなるのか」を身体感覚で体験させる。失敗することが設計に組み込まれている。

  3. 3

    グループ議論(15分)

    なぜ失敗したか・どう改善するかをグループで言語化。個人の思考を集合知として精緻化する段階。

  4. 4

    キャリア文脈への接続(10分)

    「この技術が実際の仕事でどう使われているか」をエンジニアが直接語る。学習と職業の橋渡しが全セッションに組み込まれている。

  5. 5

    次の探索への誘導

    IEEEのオンラインリソース・コミュニティへの参加案内。「ここで終わり」ではなく学習継続の入り口として設計されている。

このフローで一貫しているのは、「知識の消費者から問題解決の実践者へ」という転換の意図だ。AI時代に求められるエンジニアは、正解を暗記する人ではなく、問いを立てて試行錯誤できる人だ。IEEEのプログラム設計は、その原則に忠実に沿っている。

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③ 日本の人材育成戦略との比較──グローバル競争の現実

日本と欧米のSTEM教育比較:次世代エンジニア育成における国際競争格差の実態
Photo by Egor Myznik on Unsplash

率直に言おう。日本は、この競争でリードしていない。

文部科学省の「STEAMライブラリー」や「GIGAスクール構想」など、施策の数だけは増えてきた。だが「組織化された資金援助」「効果測定の義務化」「国際ネットワークへの接続」という三要素を同時に満たしている体験型AI教育プログラムは、日本国内にほぼ存在しない。

中高生への体験型AI教育:欧米との5年の差

IEEEのTryEngineeringプログラムは2022年から世界展開を本格化させており、OnCampus版は2024年に始まったばかりだ。欧米との差は「5年」ではなく、「設計思想の差」と表現すべきかもしれない。

比較軸 IEEEプログラム(欧米・中東) 日本の現状
対象年齢 10〜18歳(中高生が中心) 大学生以上が中心。中高生向けは散発的
学習形式 Hands-on Workshop(実践型・問題解決型) 講義型・資格試験対策型が依然多数
国際ネットワーク IEEE世界7大学に接続、共通カリキュラム 国内完結型プログラムが大多数
資金モデル IEEE Innovation Committeeが組織的に資金援助 補助金ベース・単年度予算依存が多い
キャリア接続 全セッションにエンジニアのキャリア解説を組み込み 「職業体験」として別途実施。学習と分離している
効果測定 Innovation Committeeへの報告義務あり 開催実績の報告が中心。定量評価が不十分

この表を見て、「うちの会社でも似たことをやっている」と感じた人事担当者がいるかもしれない。しかし問われるべきは、そのプログラムが「国際水準のエンジニアリング思考力を育てているか」だ。

新興国・中東諸国の急追:見えない競合の出現

もう1つ見逃してはならない事実がある。IEEEがエジプトをプログラム拠点に選んだことの意味だ。

エジプトは現在、「Egypt Vision 2030」のもとで理工系教育への国家投資を急増させている。アラブアカデミーはその象徴的な機関であり、IEEEとの連携はエジプトが「グローバル水準のエンジニア輩出国」へ転換する戦略の一環だ。日本の製造業・IT企業が将来的に採用競争を繰り広げる相手は、もはや欧米のトップ大学卒業生だけではない。

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⚠️

注意:日本国内で「AI人材育成」を謳うプログラムの多くは、大学院生・社会人向けのリスキリングを主眼としている。IEEEが戦略的に対象とする「10〜18歳」という人材育成の黄金期へのアプローチが、構造的に手薄になっている点は、10年後の産業競争力に直結するリスクとして認識すべき問題だ。

④ 日本企業・大学が取るべき戦略:国際協働とプログラム設計の急速転換

日本企業と大学がAI・ロボティクス人材育成のために国際協働プログラムを設計する戦略会議
Photo by Creatopy on Unsplash

では、日本はどう動くべきか。「欧米に追いつけ」という単純な話ではない。むしろ、IEEEのプログラムが示す「設計思想」を自社・自校の文脈に移植することが求められている。

ステップ1:IEEE TryEngineeringへの日本大学の正式参画

IEEEのTryEngineering OnCampusプログラムへの参画は、個々の大学が申請・審査を受ける形で進む。日本の大学のIEEE学生ブランチ(学生部)は複数存在しており、それを起点にした国際プログラムへの接続は現実的な選択肢だ。

東京大学・大阪大学・東北大学といった研究型大学だけでなく、地方国立大学がIEEEプログラムのハブになることで、地域における中高生のSTEM体験機会を一挙に拡大できる可能性がある。「IEEEのお墨付きを持つ地域STEM教育ハブ」は、大学の差別化戦略としても機能する。

ステップ2:企業による次世代育成への直接投資

GoogleはCS First、Microsoftはレゴと組んだMicrosoft MakeCodeなど、テック系グローバル企業は中高生向けのSTEM教育に直接投資している。単なるCSR活動ではなく、「将来の採用候補者プールを自社で育てる」という長期的な人材戦略だ。

日本企業に欠けているのは、この「育成投資の組織化」だ。個社の技術者が出前授業をするレベルを超え、カリキュラム設計・効果測定・継続的な資金コミットを含む組織的なプログラムとして設計する必要がある。トヨタ・ソニー・NTTデータといった規模の企業であれば、IEEEとの共同プログラム開発は現実的な選択肢だ。

ステップ3:「エンジニアリング思考力」カリキュラムへの転換

AIエージェント時代に求められる人材像は、「AIを使える人」ではなく「AIを問い直せる人」だ。ツールの操作方法を教えることに終始するプログラムでは、5年後には陳腐化する。

関連記事:Gemini 3.5 Flash登場でAIの主役が交代──エージェント時代への転換が日本企業を変える

IEEEのカリキュラムが「オームの法則から無線通信へ」という基礎→応用の段階設計を採用しているのは示唆的だ。AIツールの使い方を教える前に、「なぜそのシステムはそう動くのか」という因果推論の訓練が必要だ。これは机上の理論ではなく、実際の器材・データ・試行錯誤を通じてしか身につかない能力だ。

📚 自社プログラム設計の参考に

Udemyの「AI & ロボティクス入門」コースは、中高生から社会人まで対応した実践型カリキュラムの事例として参考になります。自社研修への応用を検討している担当者にも有用です。

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まとめ:今すぐ動くための3ステップ

次世代エンジニア育成に向けて今すぐ行動するための3ステップと日本企業の人材育成戦略転換
Photo by ThisisEngineering on Unsplash

IEEEのTryEngineering OnCampus急拡大が示しているのは、「AI教育は義務教育が整備してくれるのを待つ時代が終わった」という現実だ。国際標準化団体・企業・大学が三位一体となって、中高生という「最も可塑性の高い時期」の人材育成に直接乗り出している。

日本がこの流れに乗り遅れるリスクは、5〜10年後の産業競争力に直接響く。だが、動き方さえ間違えなければ、追いつく余地はある。以下の3ステップが出発点だ。

  1. ステップ1:IEEE TryEngineering プログラムの実態調査──自大学のIEEE学生ブランチや産学連携窓口を通じて、OnCampusプログラムの参画要件・申請プロセスを今月中に確認する。情報収集コストはゼロだ。
  2. ステップ2:自社の「中高生向け STEM 接点」を棚卸しする──出前授業・インターン・工場見学などの既存接点を整理し、「体験型・継続型・効果測定付き」の3条件を満たしているかチェックする。満たしていなければ再設計の優先課題だ。
  3. ステップ3:エンジニアリング思考力の定義を社内で言語化する──「AIを使える人材」ではなく「AIの動作原理を問い直せる人材」を育てるとはどういうことか。採用基準・研修目標・評価指標に至るまで、定義を更新する議論を人事と技術部門で始める。

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参考・出典

  1. IEEE TryEngineering OnCampus Program Expands to 7 Universities(IEEE Spectrum, 2025)
  2. IEEE TryEngineering 公式サイト(IEEE, 2025)
  3. IEEE Innovation Fund Overview(IEEE, 2024)
  4. GIGAスクール構想の実現について(文部科学省, 2024)